補足:「的を得る」誤用説 と「的を得る」の元は「正鵠を得る」説 の比較検討

当ブログには、この5月に、昨年末の『三省堂国語辞典』の「的を得る」誤用説の撤回は「誤用説が俗説であることをほぼ決定づけるできごと」だという解説記事を書きました。

※「俗説」というのは、「確かな根拠もなく、世間に広まっている説」という意味です。ですから必ずしも「俗説=完全に否定された説」というわけではありません。これまであたかも「定説」のように扱われてきた「的を得る」誤用説が、『三省堂国語辞典』の再検証・撤回で、実は根拠の曖昧な「俗説」であったとほぼ決まったということです。

しかし誤用説が大流行して「定説」のように扱われるようになってから、すでに15年ほどになり、とくに若い世代には学校で「的を得るは誤用である」という「教育」を受けた人も多いようです。twitterをみていると、当ブログの記事を読んでも誤用説が「俗説」であると信じられない、あるいは半信半疑という方もいらっしゃいます。

中には「的を得るという気持ち悪い表現」とおっしゃる方もいて、俗説の流行がここまで日本人の語感に影響を与えてしまったかと、少なからず驚きました。

そこで今回は、どうも「的を得る」という表現は受け入れられないという方にも、ご自身で「的を得る」誤用説がどのような説なのか再度考えていただけるように、私の手持ちの情報を整理してみました。

1_2

確かに、これだけ見ると「的を得る」は、何かの間違いであるとしか思えません。


しかし「的を射る」以前に登場していた「物事の核心をとらえる」という同じ意味の慣用表現「正鵠を得る」まで視野を広げて、さらに用例や登場時期、意味の変遷をたどっていくと、すぐにそんなに単純な話ではないことがわかってきます。


以下、正鵠・的(+「当を得る」)の用例が登場した時期と、それらに付帯する事項をまとめました。


Photo


ここから浮かび上がってくるのは、以下の5点になるでしょうか。

1.元来「正鵠」は「的」の意味であった。日本でも明治期の過半の国語辞典に「的=正鵠」と載っている。
2.「正鵠」は、日本に渡ってから「物事の核心」の意味で、さらにその後「的の中心」の意味で使われるようになった。
3.「的」には、もともと「物事の核心」という意味はなかった。
4.日本では古来「的は射るもの」である。
5,「正鵠を得る」は「物事の核心をとらえる」という意味の慣用表現としては、最も古く成立し、用例も圧倒的に多い。

これらをふまえて、一般的によく主張される「的を得る」誤用説である「「的を得る」は「的を射る」と「当を得る」を混同した誤用」という考え方を整理してみます。

3_2


「「的を得る」は「的を射る」と「当を得る」を混同した誤用だ」という説には、次の前提があることがわかります。

・「的を射る」が「物事の核心をとらえる」という意味で使われるようになったことに、「正鵠を得る」「正鵠を射る」は影響していない。

しかし、形は似ているものの意味の異なる「当を得る」は「的を得る」に影響したとしながら、先に登場し、意味も内容も同じ「正鵠を射る」が「的を射る」に影響を与えなかったとする断定は、果たして妥当でしょうか。

もっとはっきり言えば、当初、この誤用説と唱えた人たちは「正鵠を得る」を無関係と判断したわけではなく、単にその存在を見落としていたのではないかと、私は疑っています。

もちろん、現実に「当を得る」を「当を射る」などと誤用した例が少数でもある以上、この誤用説を完全に否定することは出来ません。

しかし、私には

-----------------------------------------

「的を得る」は「当を得る」との混交によるものだ、とする説に対して、『言泉』編者の林大さんは、
「そう言われていますね。それでもいいんだろうけれど、ぼくは、どちらかと言えば、『正鵠を得る』
の方が影響が大きいと思うな」と言う。

                                        ( 『今様こくご辞書』 石山茂利夫 1998年 読売新聞社)

-----------------------------------------

こう語った、林大(はやし おおき)博士の誤用説に対する感想こそ、的を得ているように思えます。
※ 林大博士は、元国立国語研究所所長。『言泉』の監修者です。

一方、「「的を得る」の元は「正鵠を得る」であるとする考え方」をまとめてみると以下のようになります。

4_2



「的を得る」は「正鵠を得る」からの派生だとする考え方は、明治期以降に登場した「物事の核心をとらえる」という同じ意味の4つの表現が、

①元来「正鵠」は「的」と同じ意味である
②日本では古来「的は射るもの」である

これらの影響で、すべて「正鵠を得る」から派生したと解釈していることになります。もちろん、この場合「当を得る」には出番はありません。私には誤用説よりは、こちらの方がより無理がなく、合理的な解釈だと思えます。

※もし派生の経路がこの通りでなかったとしても、例えば、万一将来「的を射る」が「正鵠を得る」より早い段階で「物事の核心をとらえる」の意味で使われていたことが判明したなどという場合でも、「的を得る」は、先に成立していた「正鵠を得る」「的を射る」の影響で派生したとみる方が、無関係な「当を得る」を持ち出すよりもずっと説得力がありそうです。

『三省堂国語辞典』は「的を得る」について、「得る」は「うまく捉える」意味だと判断して誤用という考えを改めたとしているので、必ずしも「正鵠を得る」からの派生と説明しているわけではありませんが、

『三省堂国語辞典』編集者の飯間浩明さんは著書の中で、小学館国語辞書編集部の神永暁氏の言葉を引きながらこう述べています。

-----------------------------------------

神永さんは「正鵠を得る」(「射る」とも言う)との関係から「的を得る」に肯定的な考えを示しています
傾聴すべき意見です。

                                       (『三省堂国語辞典のひみつ』飯間浩明 2014年 三省堂)

-----------------------------------------

このことからも、誤用説撤回の検討時に「正鵠を得る」との関係が視野に入っていたことは間違いないと思います。

| | コメント (17) | トラックバック (0)

【逆転】「的を得る」:「誤用説は俗説」と事実上決着へ

昨年12月発売の『三省堂国語辞典』第7版に「的を得る」が採録されました。これで「的を得る」を誤用とする説が俗説であるとほぼ確定したといえる重要な事件ですので、遅ればせながら記事を上げます。

(といっても先日頂いたコメントに付けた返信の焼き直しですが)


当ブログには2012年2月に書いて、当時、私自身その内容に確信が持てなかったために公開していない記事があるのですが、それは「的を得る」を誤用とした「国語辞典」の調査をしたものでした。


調査でわかったのは、以下に示すとおり、1982年から1997年まで15年間「的を得る」を誤用とした「国語辞典」は『三省堂国語辞典』のみだったということです。(1982年以前に誤用説を載せている辞書はありませんし、現在でも「的を得る」を誤用と載せている「国語辞典」は実は少数派です)


----------------------------------------------------
「的を得る」誤用説を載せている国語辞典と掲載時期(括弧内は、誤用説が載る前の版と、その出版時期)


1982年『三省堂国語辞典』   第3版(三省堂) (第2版1974年)


1997年『現代国語例解辞典』 第2版(小学館) (初版1985年)
2002年『新選国語辞典』   第8版(小学館) (第7版2000年)
2006年『大辞林』      第3版(三省堂) (第2版1995年)
2010年『明鏡国語辞典』   第2版(大修館) (初版2002年)


※(参考)最新版でも「的を得る」誤用説を載せていない「国語辞典」
・『広辞苑』(岩波書店)・『大辞泉』(小学館)・『新明解国語辞典』(三省堂)・『岩波国語辞典』(岩波書店)・『精選国語辞典』(明治書院)・『学研現代新国語辞典』(学研)・『旺文社国語辞典』(旺文社)・『福武国語辞典』(福武書房)・『集英社国語辞典』(集英社)・『角川必携国語辞典』(角川書店)・『講談社国語辞典』(講談社)・『ベネッセ表現読解国語辞典』(ベネッセ)・『三省堂現代新国語辞典』(三省堂)
※以上、2012年2月当時
----------------------------------------------------


「国語辞典」の事情に少しでも詳しい方なら皆ご存じだと思いますが、辞書の神様ともいえる見坊豪紀さんが編集した『三省堂国語辞典』の権威は極めて高いもので、その『三省堂国語辞典』が「的を得る」を「誤用である」とした影響は非常に大きなものでした。

私が見つけた範囲では、2000年以前に「的を得る」誤用説を主張した書籍や記事が、その根拠としてあげていたのも、この『三省堂国語辞典』に誤用と記載されていることでした。こうした書籍や記事がやがてテレビ番組で取り上げられ、大きな反響を呼んで2000年頃を境に全国に「的を得るは誤用」という「常識」が広まり、平成15年の文化庁調査でも「誤用の多い例」として取り上げられるに至ったと思われます。


見方を変えれば『三省堂国語辞典』に誤用の記載がなければ、根拠の薄弱な「的を得る」誤用説がこのように世間に広まることはなかったはずです。


その『三省堂国語辞典』の第7版が去年2013年12月発売になり、この新版から「的を得る」が採録立項されたのです。


「的を得る」の掲載に関して、編集者の飯間浩明さんはtwitterに「『三省堂国語辞典』第7版では、従来「誤用」とされていることばを再検証した。「◆的を得る」は「的を射る」の誤り、と従来書いていたけれど、撤回し、おわび申し上げます。」とツイートされています。(https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/412139873101807616)


「「的を得る」が普及してしまったので認めた」ではなく、「(誤用説を)撤回し、おわび申し上げます」ということです。(更に、飯間さんは著書『三省堂国語辞典のひみつ』(三省堂)の中でも誤用説は間違いであったから改めた、という趣旨の文章を書かれています)


もちろん私も、追随した4冊の「国語辞典」を含め、これだけ世間に広まってしまった「的を得る」誤用説が一夜にして消えるとは思いませんが、永らく誤用説の旗手であった『三省堂国語辞典』の「誤用説撤回」は今後の帰趨に決定的な影響を与えるだろうと思っています。

日本で最初に、そして永らく唯一、「的を得る」は誤用であるとしていた『三省堂国語辞典』が、その主張を撤回し、最新版にきちんと「的を得る」を立項したことで、「的を得る」が濡れ衣を免れて復権する日は近づきました。まぁ、もともと濡れ衣を着せた主犯も『三○○国語辞典』だったような気もしますが。

| | コメント (88) | トラックバック (0)

「婚外子差別撤廃」と同時に「配偶者の権利保護」を!

(2017年7月19日追記)
生存配偶者に住居をかなり確実に残せる試案が示されました。これで「婚外子差別撤廃」の流れの中で最も懸念された点が大きく改善される見通しとなりました。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS18H4Z_Y7A710C1MM8000/
   
(2015年8月 追記)

この問題について各方面から同様の懸念が指摘されたようで、法務省が「相続法制検討ワーキングチーム」を立ち上げて詳細な検討をし「報告書」もあがっています。

(相続法制検討ワーキングチーム 法務省)

 http://www.moj.go.jp/shingi1/shingi04900197.html

----------------------------------------------

「差別撤廃」の美名の影で、配偶者の権利が著しい侵害を受ける恐れが強まっているので、研究が不十分ながら以下メモ的な記事をアップします。

最高裁の大法廷で民法900条四項の「嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一」という規定が違憲であるかどうか審理されることになりました。1995年の「合憲」判断を再検討するということで、今回は「違憲」判断が出る可能性が高いと予想されています。

違憲とされた場合、民法のこの規定は改正されることになるわけですが、もし単純に嫡出子と婚外子の権利を同等にすると生存配偶者の権利が実質的に重大な侵害を受けます。

以下、具体的にケースを想定してみます。

婚外子が一人いる夫が死亡し、専業主婦である妻と子(嫡出子)が自宅(時価6000万円)を相続したとします。
※わかりやすくするために預貯金、ローンの残などもないものとします。

現行法で相続が発生した場合、妻は自宅の1/2(3000万円相当)子は1/3(2000万円相当)非嫡出子が1/6(1000万円相当)を相続することになります。この場合、遺族である妻子が自宅を売却せずに住み続けるためには、婚外子に金銭で1000万円を支払う代償分割をする必要があります。現行法の規定でも働き手を失った妻子にとってこの支払はかなりの負担になるでしょう。

同じケースで「婚外子差別撤廃」のために非嫡出子の相続分が嫡出子を単純に同等にする法改正がされた場合は、嫡出子と婚外子の相続分は1/4(1500万円)ずつになるため代償分割には1500万円の支払いが必要になります。こうなると妻子が自宅に住み続けることは非常に困難になってしまうでしょう。夫の死亡と同時に、遺族である妻子が「自宅」を失う可能性が極めて高いのです。

日本では、最大の(往々にして唯一の)財産は「自宅」であるという家庭が数多くあります。そして元来、夫婦の財産である「自宅」の取得に寄与したのは配偶者であって、子でも婚外子でもありません。ところがこのまま単純に非嫡出子の権利を拡大した場合、何一つ落ち度のない生存配偶者の生活権が脅かされるケースが続出するのは目に見えています。

子であれ婚外子であれ、親の財産に対してその生活権を脅かすほどの権利があるとは、私には思えません。「婚外子差別」の撤廃にあたっては、生存配偶者の権利を守るための配慮が絶対に必要だと考えます。

たとえば相続に保守的なフランスでは、2001年に婚外子差別撤廃の法改正を実施しましたが、それと同時に生存配偶者の相続権を拡大しました。

従来の法律では、生存配偶者の相続分は夫婦の共有財産の1/2で残り1/2を子が相続することになっていました。子が嫡出子と婚外子の2人の場合なら、嫡出子1/3婚外子1/6になります。(共同財産制のため実際には日本とは色々違うのですが大雑把に言えば我が国と同様でした)

改正によって嫡出子と婚外子の権利は平等になりましたが、同時に配偶者は元来の1/2とは別に、残りの1/2に対しても子と同じ権利を相続することにしたのです。こうすることで妻は元々の1/2の権利に1/6を加えて合計で2/3、子はいずれも1/6という配分になったわけです。

フランスの改正法では、先ほどの例のように時価6000万円の自宅を相続した場合、妻4000万円相当、子は嫡出子非嫡出子とも1000万円相当になります。このように配偶者の相続権に配慮して、婚外子の相続格差を是正したわけです。

非嫡出子であっても嫡出子と同様の相続権は認められてしかるべきなのは勿論ですが、実質的に配偶者の権利を侵害するような形でその権利を拡張するのは明白な不公正です。

私たちは「差別撤廃」という理想だけではなく、配偶者の正当な権利の保護という現実にも目を向けることが大切だと思います。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

見落とされた事実 --- 「正鵠を得る」が「的を得る」に転じた証拠

「的を得る」が誤用であるという主張は、2013年12月発売の『三省堂国語辞典』が、これまで同辞典が掲載してきた「的を得る」誤用説を撤回したことで、ほぼ俗説と確定しています。

それについてはこちら
【逆転】「的を得る」:「誤用説は俗説」と事実上決着へをご参照ください。(2014.5.25)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「的を得る」について自分なりに決着をつけたいと考えてきましたが、ゴールデンウィーク前後から仕事の忙しさが増し、休日、図書館に通うのもままならない状況が続いています。集めた資料の整理などまだ作業が沢山あるので、我ながら、いつになったら続きの記事が書けるのだろうと思っていたのですが、ネット上のやり取りから、ふと、既に手元にある確実な証拠だけでも有意な記事にはなりそうだと思い立ち、これを書いています。

さて、私が「的を得る」誤用説が間違いだと考える最大の理由は、誤用説に根拠がないことです。

誤用説の根拠として「的は射るものであって、得るものではない」というコロケーションが挙げられますが、これは一見根拠になりそうで実はなりません。「人を食った」という慣用表現に対して「人は食うものではないから誤用である」などといえないことは、誰でも直ぐ分かることです。「当を得る」との混用という説も「的を得る」が誤用であることを前提にした後付の理屈に過ぎず、混用されたという証拠などどこにもありません。

一方で「的を得る」が「正鵠を得る」から転じたという説について、誤用説を支持する方々は「正鵠」が「的」に転じたという根拠が無いと主張されています。私はこれまで複数の記事で「的」は「正鵠」と基本的に同義だと説明してきましたが、図書館通いの中で、それを裏付けてくれる追加の証拠が見つかっています。

周知のように「正鵠を得る」という慣用表現が成立したのは明治期のことですが、実は、当時の過半の辞書の語釈には「的」は「正鵠と同義である」と記されていたのです。

日本大辞書』(日本大辞書発行所 1892年-1893年)山田美妙編
まと(的)目当の義。矢を射当てる目的。=正鵠

帝国大辞典』(三省堂 1896年)藤井乙男・草野清民編
まと【的】 目当の義なり、矢を射当つる目的なり、正鵠に同じ

日本新辞林』(三省堂 1897年)林甕臣・棚橋一郎編
まと【的】 矢を射当つるめあてのもの、(正鵠)

ことばの泉』(大倉書店 1898年-1899年)落合直文編
まと【的】 ①矢を射、銃を放ちてあつる目的のもの。正皓。②のぞみ。めあて。もくてき。

辞林』(三省堂 1907年)金沢庄三郎編版 (第1版 第2版以降は「広辞林」)
まと【的】(目処の義)①矢を射又は弾丸を発して当つるめあて。(鵠)。②のぞみ。めあて。

※『言葉の泉』の「正皓」は「正鵠」の誤植と思われます。
※『辞林』も「正鵠」の「鵠」が「的」の意味と理解されていたことを示しています。

ご覧の通りで、調べた明治期の辞書七つのうち『言海』『日本大辞林』を除く五つが、「的」の同義語として「正鵠」(ないし「鵠」)を取り上げています。これを見れば誰でも「正鵠」が「的」に転じ得るということに、納得がいくのではないでしょうか。

以下、もう一度、事実関係をまとめます。

「的を射る」という表現は、「的に向かって矢弾を発射する」という意味では古くから使用されていましたが、「物事の核心をつく」という慣用表現としての使用は1940年代になってからで、比較的最近のことです。

一方で、「正鵠を得る(=物事の核心をつく)」の成立時期は「的を射る(=物事の核心をつく)」より50年以上さかのぼった明治期で、当時の国語辞典には「的」は「正鵠と同義である」と載っていました。

こうした事実を比較すると、「的を得る」は、「的を射る」の誤用だと考えるよりも、「正鵠を得る」から転じたものだと考えた方がはるかに合理的だと思えないでしょうか。むしろ私には、これらの事実が見落とされたことこそが、根拠の曖昧な「的を得る」誤用説が登場した原因だと思えてなりません。

「的を得る」ついては、まだ複数の国語辞典が誤用説を記載しているという問題が残りますが、これについては、できれば今後、辞書の間違いの可能性を検証していきたいと考えています。ただ現在、仕事が少し大変なので、いつになるかわかりませんが・・・。(もし私の説の間違いが明らかになった場合は、早目に訂正記事を上げるつもりです)

追記:
この記事から約2年後の2013年12月15日『三省堂国語辞典 第七版』は、1982年以来30年以上主張していた「的を得るは誤用」という主張を撤回。独立項目として「的を得る」を立項しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「正鵠」の意味は、単なる「的の中心」ではないという話

「的を得る」が誤用であるという主張は、2013年12月発売の『三省堂国語辞典』が、これまで同辞典が掲載してきた「的を得る」誤用説を撤回したことで、ほぼ俗説と確定しています。

それについてはこちら
【逆転】「的を得る」:「誤用説は俗説」と事実上決着へをご参照ください。(2014.5.28)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

昨年記事を書いた「的を得る」について、図書館に通いながら再考しています。結果はあとで数本のエントリーとして上げることになる思いますが、その前に「正鵠」について、記事にまとめておこうと考えました。

現在、普及タイプの辞書を引くと「正鵠」は「的の中心」の意味だ、と書いてあるので、大抵の人は「正鵠=的の中心」だと思っています。しかし以前のエントリーにも書いたとおり、『日本国語大辞典』『大漢和辞典』といった大型の辞書や、漢語に強い『新字源』などを引くと、「正鵠」には「ゆみの的、また的の中心」という語釈がついています。いうまでもなく本来正しいのはこれら後者で、「正鵠」という熟語の成り立ちをみればその理由がわかります。

今では「侯(こう)」という文字の意味が「まと」だといわれても、あまりピンとこないかも知れませんが、もともと「弓の的」という意味の成り立ちを持っているのは、この「侯」という文字です。一方で誰もがごく普通に「まと」だと思っている「的(てき)」という文字は、本来「あきらか」という意味で、それが転じて「弓のまと」の意味に使われるようになったものです。

また古代の中国では「射」は六芸の一つとされ、儀礼として「大射(たいしゃ)」「賓射(ひんしゃ)」「郷射(きょうしゃ)」など様々な射儀が行われていました。その中の「大射」は、諸侯が祭祀にあたり群臣と弓を射て、当たった者が祭りにあずかるという儀礼。「賓射」は、諸侯が隣国の君と共に宴をして、弓を射るという儀礼でした。実はこの「大射」に用いられた的が「鵠(こく)」で、「賓射」に用いられた的が「正(せい)」なのです。

かくのごとく古代の中国では、弓の的を「侯」「鵠」「正」など種類別の名で呼ぶことが多かったわけですが、これら「侯」「鵠」「正」を日本語に訳すと、どれも「まと」ということになります。

ところで「鵠」や「正」の大きさはどのくらいであったかというと、「周礼」の注釈に「十尺四方のものを「侯」といい、四尺四方のものを「鵠」といい、二尺四方のものを「正」という」とあります。周代の一尺は現在の22.5cmくらいですから、「鵠」は90cm四方、「正」でも45cm四方もあります。

現在の日本の弓道で、遠的競技(通常60mの距離から射る)に使われる的が直径1m、近的競技(28mの距離から射る)に使われる的が直径36cmですから、「鵠」や「正」はほぼそれらに匹敵する大きさです。どちらも「的の中心の黒星」などという代物ではありません、かなり立派な大きさの四角い「まと」であるとわかります。

ですから「河川」が、どちらも「かわ」という意味の「河」と「川」を並立した構成で「かわ」という意味を表しているのと同じで、「正鵠」は、どちらも「まと」という意味の「正」と「鵠」が並立した「まと」という意味の熟語ということになります。

話がこれで終われば「正鵠=まと」で簡単なのですが、事情はもう少し複雑です。「説文通訓定声」によれば、「大射の「侯」は虎熊豹等の皮を用い、その中に「鵠」を設ける」とあります。これは「侯鵠(こうこく)」と呼ばれる的ですが『大漢和辞典』(1巻763頁)の挿絵を拝借すると以下のような姿のものです。

240

ご覧の通りで、大射の的は「鵠」なのですが、「侯」全体を「的」と見れば「鵠」は「的の中心」ということになります。賓射の「正」の場合も同様に「侯」の中に「正」を設けたため「的の中心」といえるのです。

日本の弓道の場合、競技別の的を垜(あずち:土や川砂を盛り固めた土手)に立てますが、古代の中国の場合は、まず「侯」を立てて、大射の時には「鵠」をその中に掛け、賓射の時には「正」を掛けるといった感じでしょう。このようなわけで、中国語では「鵠」は「鵠」、「正」は「正」以外の何物でもないのですが、どちらも日本語に訳すと「的」または「的の中心」という二つの意味を持つことになってしまうのです。

この「正鵠」という熟語は、日本に渡ったのち、弓術の「的」の「中心の黒星」の名前として使われるようになったため、現在日本では「正鵠=的の中心」という理解が一般的になったわけですが、「正鵠を得る」の元になった「礼記」にある「不失正鵠」の「正鵠」を「的の中心の黒星」だと考えては大分イメージが違うということになります。また今後のエントリーで触れることになりますが、「正鵠を得る」という慣用表現が成立した明治期の日本でも、現在のように「正鵠=的の中心」という単純な理解ではなかったのです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

夫婦別姓の議論について

日本で夫婦別姓の問題が議論されるようになって久しくなります。

私自身は別姓にすることに抵抗は感じますが、同姓でなければならないとまでは思いません。しかし夫婦別姓の議論の中に、明らかに誤った認識に基づくと思われるものが含まれているのが気になったので、基本事項を整理するために記事を書いてみることにしました。

それは、他でもない「姓」(法律では氏(うじ))に対する認識です。

日本の法律上、人の呼称は「氏」と「名」の組み合わせによって成立する事になっていますが、「氏」は民法上の規定によって決まり、「名」は出生届によって決まります。この「氏」と「名」のうち、厳密に個人に帰属するのは「名」のみです。「氏」は「個人」ではなく、言わば「夫婦」の呼称だからです。

一番基本的なことですが、現在の日本の戸籍制度は「個人別登録制度」ではありません。昭和22年の民法改正で「家」制度が廃止されて以降は、婚姻による「夫婦」が戸籍の単位になっています。明治以降の家父長制度は当時の国家経営には都合が良かったものの、「個人」にとっては極めて弊害の多いものでした。その「家」が解体され、替わって登場した戸籍法上の単位は「個人」ではなく「夫婦」なのです。

現在日本では、人は生まれると父母(婚姻によらない場合は母)の戸籍に登録され、その「氏」を獲得します。そして成長し自分が婚姻した時点で父母の戸籍から出て、新たに自分たち夫婦の戸籍を持つことになりますが、この新しい戸籍の「氏」を決める際の選択肢が、婚姻前の夫または妻の「氏」となっているわけです。

法律上「氏」は単一の夫婦の呼称ですから、理屈の上では夫婦が「同氏(同姓)」であるのは当たり前なのです。

私は夫婦別姓という考え方が誤りであるとは思いません。ただ、この問題を論じるのなら、60年前に「家」を解体したように、「夫婦」という単位を解体して、戸籍を個人登録制に移行するべき時期に来ているかどうか、日本の現状に即して検討しなければならないと思います。

私は今のところ夫婦別姓の導入について、まだ国民の共通理解が出来ていない段階で、拙速に法改正を進めるべき状況ではないと考えています。60年も前に消滅した「家」という観念からも十分脱却できていないため、夫婦単位(核家族化)への適応も不十分というのが日本の現状で、このうえ更に戸籍を細分化し個人登録に移行しても、教育、老後の両親の扶養や相続など、家族をめぐる問題が混乱し、深刻化しこそすれ、それを上回るメリットがあるとは思えないからです。

ただ婚姻による新戸籍の「氏」の選択肢が夫または妻の「氏」の二者択一という現状は、考え直すメリットがありそうに思います。例えば、父母の旧姓を含め選択肢を4つにするだけでも、結婚による改姓の負担が必然的に夫婦の一方のみにかかる現状を改善し、「氏」が夫婦の呼称であるという認識を高める効果が期待できるのではないでしょうか。

※論旨を明確にするため、一部冗長な部分を削除、言い回しの訂正を行いました。(2010.12.24)

※用語が便宜的なものであることを明示するために、本文中「「夫婦」の呼称」の前に「言わば」を追加しました。(2010.12.28)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

「社会学小辞典」でも「軍隊は暴力装置」

先日の投稿の補足です。

今日「暴力装置」について、その後どうなったか見ていたところ、

「社会学小辞典」を調べて「暴力装置 暴力を発動するため、諸機関が配置されていること。最高に組織化された政治権力である国家権力が、軍隊・警察・刑務所などを配置している状態などに用いる。・・・」と報告されているサイト (※)(「社会学小辞典で「暴力装置」を調べてみた」:くじらのねむる場所@はてな )があり、

その説明を引用した上で、「軍隊自体が暴力装置なのではなく、「国家権力が、軍隊・警察・刑務所などを配置している状態」を「暴力装置」というのだ」と解説されているサイト (「自衛隊ではなく国家が暴力装置だから国民は安心して暮らせる」:極東ブログ)がありました。

これらの記事を見て、社会学に於ける「暴力装置」の解釈が気になってきたので、有斐閣の「社会学小辞典【新版増補版】(2009年8月5日新版増補版第3刷)」にあたってみました。

それによると「暴力装置(violent apparatuses)」は「組織化され、制度化された暴力の様態。通常軍隊・警察をさす。」と説明されていました。(P.976 2005年増補の独立項目)

これを見る限り社会学に於いても、通常は「軍隊は暴力装置」という解釈で良いようです

※ こちらのサイトでは、古本屋で購入した1991年版の旧い版によると、と断りを入れて紹介されています。「社会学小辞典」は1997年新版になっています。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

「暴力装置」失言問題について

この二日程、時の官房長官の発言に端を発する「暴力装置失言問題」が気になったので、記事を書いてみます。

私自身は、自衛隊が「暴力装置」であるのは自明なことだと思うので、発言自体には何の違和感もありません。

しかし「暴力装置」という言葉が、多くの人から感情的な反発を受けたり、あるいは「左翼用語」であると認定されたり、後から調べて政治学では基本的な用語だと理解した人でさえ「場所をわきまえない不適切な発言であることに違いない」などと批判を続けるのをみて、この問題の根本は「暴力」という言葉への理解不足だと感じています。

広辞苑では「暴力」は「・・、相手の身体に害を及ぼすような不当な力や行為」と説明されています。広辞苑に限らず国語辞典で「暴力」を引けば、その意味に「不当・不法」というニュアンスが含まれているはずです。一般に日本語で「暴力」と言えば、不当なものだと認識されているわけです。勿論これはこれで正しいのですが、日本語には、国語辞典に載っているような一般に使用される単語だけでなく、専門用語や術語というものもあるのです。

法学の世界でも「暴力」は「不当ないし不法な方法による物理的強制力の使用」(ブリタニカ国際大百科事典)と定義され、「不当・不法」という意味を内包します。凶悪犯が人を傷つけたり、監禁したりすれば、それはすなわち「暴力」ですが、警察が法の手続きに従って凶悪犯を制圧・逮捕する行為を、「暴力」とは呼びません。法学では法に則った正当な力の行使を「暴力」と呼ばないのです。

ところが政治学・社会学の世界では、「暴力」は「物理的強制力の行使一般」(同上)と定義され「不法・不当」というニュアンスを含みません。政治学・社会学では、凶悪犯が不法に振るう「力」も、それを警察が法の定める手続きに従って正当に制圧する「力」も、等しく「暴力」と呼ぶのです。これは政治学・社会学が、警察が凶悪犯を正当に逮捕する「力」は、無実の人を不当に逮捕する「力」でもあり得ること、どちらも本質的には同じ「力」であること、に着目するためです。

主権国家は、内外の不当な「暴力」から国民を守るために、国家によって独占的に制御された「暴力」を持つ必要があります。外国の侵略という暴力を退けるための軍隊、国内の不当な暴力を制圧し治安を維持するための警察が、その代表になります。物理的強制力を行使する組織である軍隊・警察は、そうした意味で「暴力装置」と呼ばれるのです。つまり「暴力装置」とは「物理的強制力を持った組織」に過ぎず、なんら悪い意味を持っていません。

ただこうした治安や国防に使える「力」は大変強力なもので、他国への「侵略」や国民の「弾圧」に使用されないよう、正しく制御されなければなりません。このような問題を考え議論する上で、「暴力装置」という概念は大変重要なのです。「暴力装置」は、政治学・社会学上の文脈によってのみ解釈されるべき術語で、「暴力」という一般的な日本語のイメージに由来する誤った批判によって、議論での使用が出来なくなっては損失が大きすぎます。

因みに70年代に日本で流行った左翼用語としての「暴力装置」は、一般人の「暴力」という言葉へのマイナスイメージを利用(誤用)したものに過ぎず、「暴力装置」の定義とはいえません。

また件の官房長官が国会で「実力組織」と訂正するときに「法律用語として適切でなかったので」と前置きをしていました。法学的な「暴力」は「不法」を含意することは上記指摘したとおりで、言う事すべてが不誠実で間違っている印象がある官房長官ですが、この台詞から、この件に限っては正しく用語を理解していたように思えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【資料】「正鵠を得る」「正鵠を射る」「的を射る」の年代順用例一覧

「的を得る」が誤用であるという主張は、2013年12月発売の『三省堂国語辞典』が、これまで同辞典が掲載してきた「的を得る」誤用説を撤回したことで、ほぼ俗説と確定しています。

それについてはこちら
【逆転】「的を得る」:「誤用説は俗説」と事実上決着へをご参照ください。(2014.5.28)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


資料として「青空文庫」で見つかった「正鵠を得る」「正鵠を射る」「的を射る」などの用例を年代順に並べた一覧を上げておきます。「青空文庫」は著作権者の没後50年を経て著作権が消滅した作品が集められているため、年代の古いものについてはある程度網羅性が高く、年代が近くなるほど抜けが多くなります。

たとえば1946年の国語改革時に40歳だった作家が70歳で没したとすると、その著作権が切れるのは2016年ということになります。私は「的を得る」の用例が見つからないのはその所為ではないかと思っていますが、単なる思い込みの可能性もあります。

ただこの一覧を見ていただくと「「正鵠を得る」→「正鵠を射る」→「的を射る」という順で変化が起きた」という説の信憑性は高いと感じられることと思います。(参照:「【まとめ】「的を得る」と「的を射る」の誕生と成長の歴史」)

正鵠を得る(1893年~1948年 用例20)

「未だ根本の生命を知らずして、世道人心を益するの正鵠を得るものあらず。」(北村透谷「内部生命論」1893年)

「且此種の批評充分にして鑑定正鵠を得、其史料にして僞造の者ならずと斷定せられたりとするも、」(原勝郎「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」1898年「史学雑誌」)

「その人の仕事や学説が九十九まで正鵠を得ていて残る一つが誤っているような場合に、その一つの誤りを自認する事は案外速やかでないものである」(寺田寅彦「科学上における権威の価値と弊害」1915年頃)

「俵の字を解かんとて竜宮入りの譚を誰かが作り出したであろうと、馬琴が説いたは、まずは正鵠を得たものだろう。」(南方熊楠「十二支考」1916年)

「たまたまそれをさし向ける対象が正鵠を得ていても、なんにもならぬのである。」(森鴎外「寒山拾得」1916年)

「もしこの想像が正鵠を得るものとすれば、ローマ帝国時代よりも、近世国家の樹立以後における欧洲の秩序が、一層紊乱しておらなければならぬ。」(原勝郎「東山時代における一縉紳の生活」1917年)

「個人意識の勃興がおのずからその跳梁に堪えられなくなったのだと批評された。しかしそれは正鵠を得ていない。」(石川啄木「時代閉塞の現状」不詳「東京朝日新聞の文芸欄」)

「兩面から論じなくちやあ議論の正鵠は得られない。」(石川啄木「我等の一團と彼」)

「サア・オルコツクの日本婦人は、とにかく、マツクフアレエンのそれよりも、正鵠を得てゐる。」(芥川龍之介「日本の女」1925年)

「雷電の火の種子が一部は太陽から借りられたものであるとの考えも正鵠を得ていると言われうる。」(寺田寅彦「ルクレチウスと科学」1929年)

「いつもその時応募した数百のものの中で一番正鵠を得て書かれているとか、科学的に正しい社会的認識をもって書かれているとかと云うことは保証の限りでない。」(宮本百合子「反動ジャーナリズムのチェーン・ストア」1931年10月「時事新報」)

「その作品がプロレタリア的観点からの著しい背離の傾向を以て書かれていることを指摘した点は、正鵠を得ている。」(宮本百合子「前進のために」1933年「プロレタリア文学」)

「伊藤俊輔と志道聞多との会話、焼弾陰謀の相談等、実際にあり得べきことである。殊に風俗の点に関しては正鵠を得ている。」(直木三十五「大衆文芸作法」不詳)

「時事問題に対する先生の観察と批評は鋭くて、正鵠を得ているものが多いと思う。」(三木清「西田先生のことども」1941年)

「最終戦争と言えば、いかにも突飛な荒唐無稽の放談のように考え、また最終戦争論に賛意を表するものには、ややもすればこの戦争によって人類は直ちに黄金世界を造るように考える人々が多いらしい。共に正鵠を得ていない。」(石原莞爾「最終戦争論・戦争史大観」1941年)

「支那事変に先立つこと二十一年、我が国の人口五千万、歳費七億の時代の著作であることを思い、その論旨の概ね正鵠を得ていることに三造は驚いた。」(中島敦「斗南先生」1942年)

「「日本交通貿易史」のなかで述べてゐるシーボルトの次のやうな通詞に對する觀察が、もつとも正鵠を得たものではないだらうか。」(徳永直「光をかかぐる人々」1943年)

「マラーの、その見とおしは、今日から見て正鵠を得ていました。」(宮本百合子「獄中への手紙」1944年)

「『大言海』のグミの語原は不徹底至極なもので、けっしてその本義が捕捉せられていない。すなわち正鵠を得ていないのだ。」(牧野富太郎「植物一日一題」1946年)

「マルサス氏は次の推論においても正鵠を得ているであろうか? 」(David Ricardo 吉田秀夫訳「経済学及び課税の諸原理」1948年)

正鵠を射る(1933年~1939年 用例2)

「そして遂に私の仮定が、或る程度まで正鵠を射ていることを確めた。」(海野十三「ゴールデン・バット事件」1933年)

「即ち彼等の認識は必ずしも根柢的に愚劣ではなく、時に正鵠を射てゐるものがあるのである。」(坂口安吾「総理大臣が貰つた手紙の話」1939年11月)

的を射る(1947年~1954年 用例4)

「こういう策のある言葉が実は的を射ていることがあるもので、」(坂口安吾「ジロリの女」1948年)

「悪意の批評ではないまでも、少しばかり的を射すぎてゐると思つたのだらう。」(神西清「夜の鳥」1949年)

「その疑惑が的を射たものであった場合、」(坂口安吾「桂馬の幻想」1954年)

「兵士の方も的を射すぎた不手際な苦しさで、眼をぱちぱちさせて外っぽを向いたまま、これも何も云わなかった。」(横光利一「夜の靴」1947年)

| | コメント (12) | トラックバック (0)

【まとめ】「的を得る」と「的を射る」の誕生と成長の歴史

「的を得る」が誤用であるという主張は、2013年12月に『三省堂国語辞典』が、これまで同辞典が掲載してきた「的を得る」誤用説を撤回したことで、ほぼ俗説と確定しています。

それについてはこちら
【逆転】「的を得る」:「誤用説は俗説」と事実上決着へをご参照ください。(2014.5.24)

「正鵠を~」「的を~」の派生の経緯については、誤用説との絡みを含めて別の記事にまとめましたのでそちらをご参照ください。

補足:「的を得る」誤用説 と「的を得る」の元は「正鵠を得る」説 の比較検討

現在では、たいへん精確な調査をされた方によって「正鵠を得る/射る」「的を射る/得る」の登場時期は、私のこの記事よりも遥かに遡ることがわかっています。

「正鵠を得る/射る」(より古い形は「正鵠を得る」です。実際の使用例も古くから「得る」が圧倒しています。)

http://kumiyama-memo.hatenablog.com/entry/2013/11/16/223832

「的を射る」(初出は1906年の辞書で、そこには「的を射るは、いわゆる正鵠を「得る」の意味だ」と書かれています)

http://kumiyama-memo.hatenablog.com/entry/2013/11/09/223835

「的を得る」(「的を射る」よりも150年以上古い用例を報告されています)

http://kumiyama-memo.hatenablog.com/entry/2013/10/14/223832

※ 2013年12月の『三省堂国語辞典』による誤用説撤回で、実質的に私のブログは役割を終えたと考えていましたが、最近この記事のアクセスが増えていることに気づき以上追記致しました。(2016.2.20)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「的を得る」を巡る問題を調べながら、複数の記事をエントリーしたために、全体像が分かりにくくなってしまいました。そこで長年培った狭く浅い知見と、(昨日、永田町の図書館で調査したばかりの)最新の情報を駆使し、「的を得る」と「的を射る」の誕生から今日までの経緯について、以下、調査結果と仮説をまとめてみます。

(すべての始まりは「正鵠を得る」)100年以上前から戦後まで

「物事の核心をつく」という意味の近代日本語の慣用表現は、「正鵠を得る」に始まります。「青空文庫」で確認できる「正鵠を得る」の使用例は20を数え、「正鵠を得る」が明治期から昭和の敗戦直後まで広く使用されていたことがわかります。また「正鵠を失う」「正鵠にあたる」など、いくつかのバリエーションも存在します。しかし、1946年に「国語改革」で「当用漢字」「現代仮名遣い」が制定されて以降、「正鵠を得る」は急速にその出番を失っていきます。

(「正鵠を得る」から「正鵠を射る」は生まれた)1930年代

「正鵠を射る」は、昭和初期1930年代になって「正鵠を得る」のバリエーションのひとつとして使用されるようになりました。「青空文庫」で「正鵠を射る」は2例しか確認できず、「正鵠」の眷属としては最後期に登場した比較的マイナーな表現だったと思われます。「正鵠を得る」同様、「国語改革」以降、その姿はほぼ見られなくなります。

(そして「正鵠を射る」から「的を射る」が生まれる!)1946年以降

「国語改革」によって時代になじまなくなった「正鵠を射る」は、その後「的を射る」と姿を変えて使用されるようになります。坂口安吾は国語改革以前の歴史的仮名遣いで書かれた作品に「正鵠を射る」、国語改革以降の現代仮名遣いで書かれた作品に「的を射る」を使用しており、これは「的を射る」が「正鵠を射る」から変化した証拠のひとつと考えられます。「青空文庫」では戦後早い時期から「的を射る」の用例を4つ確認することができます。(参照:「坂口安吾に見られる「的を」と「正鵠を」の互換性」)

(「正鵠を得る」からは「的を得る」が生まれた!?)1946年以降

「正鵠を射る」が「的を射る」に変化したように、「正鵠を得る」から「的を得る」が生じたと思われますが、私は今のところ1946年直後の用例を見つけていません。高橋和巳が1970年に小説で使用した例は置き換えが発生した証拠としては新しすぎます。30年前には普通に使用されていた「電算」「主記憶」という用語は、今は「コンピュータ」「メモリ」に置き換えられていますが、これを障害なく置き換えるにはITの常識が必要です。同じように「正鵠」を「的」に置き換えるには漢籍の素養が必要で、置き換えの発生を証明するには、証拠として漢籍の素養が文化人に共有されていた時期の用例が必要です。その意味でこの説は、状況証拠のみで成り立っており、現時点では証拠不十分です。

(「的を射る」が辞書に採録される)1991年※「辞海」初版(1954年)への採録を確認しました。(2011.7.23追記)

これ以降、「的を射る」は辞書に採録され「的を得る」は載っていないという情況になります。これが「的を射る」は正しく「的を得る」は誤用であるとされる最大の原因ですが、「的を射る」の誕生した経緯を見ても「的を得る」が「的を射る」の誤用だというのは著しく妥当性を欠いていると言わざるを得ません。(参照:「「的を射る」は、何時から「広辞苑」に載ったか?」)

(「的を得る」は誤用という説が喧伝される)2000年頃以降

何回目かの日本語ブームで、「的を得る」は「的を射る」の誤用であるという説が脚光を浴び、世間に広く喧伝されました。実際には「的を得る」がかなり広範囲に使用されていた実情もあり、この説に対する議論も起こります。誤用説は「的は得るものではなく射るもの」「的を得るは辞書に載っていない」などを根拠として主張されており、歴史的に全く妥当性がありませんが、「「的を射る」と「当を得る」との混用である」などもっともらしい説明が広く受け入れられ、一部の国語辞典や慣用句辞典には「「的を得る」は本来間違い」と記述される状況になっています。

(「的を得る」が辞書に採録される)2001年

皮肉にも誤用疑惑が世間に広まる中「的を得る」が「日本国語大辞典」に採録されます。ただ「日本国語大辞典」の「的を得る」の語釈は「的確に要点をとらえる。要点をしっかりと押さえる。当を得る。的を射る。」となっており、明確には記されていないものの「的を射る」「当を得る」の誤用だったものが普及した結果認知されるにいたったと解釈できなくもありません。

(「的を得る」支持率が大幅に低下する)2003年頃

平成15年に実施された文化庁のアンケートでは、10代20代の若い世代で「的を得る」支持率が大幅に低下している実態が浮き彫りになりました。この原因は、「的を得る」は誤用という説が世間に広く浸透したことだと思われます。(参照:「「的を得る」は、市民権を得るか?2」)

(「的を得る」の今後)2010年以降

日本国語大辞典に採録されたとはいえ「的を得る」の今後は決して明るくありません。誤用説は全国に広く浸透しており、商業用のメディアでも「的を得る」は校正の対象となっていますし、ATOKの使用者なら「的を得る」を使用しようとすると「誤用である」とサジェストを受ける状態です。誤用論に違和感を感じている人でも、使用することでいらぬ指摘や誤解を招くことを嫌って使用を避ける傾向があり、果たして「的を得る」が市民権を得ることができるかは予断を許さない状況です。

(上記の諸説の問題点)

以上、既得の知見と今回の調査に基づいた「的を得る」と「的を射る」の誕生から現在までの経緯です。私は内容にかなり自信がありますが、いくつか証拠不十分な点もあり完璧ではありません。主要な問題点を以下に記します。

 「的を得る」に1946年直後の用例が見つかっていない。

 (これが私の説の最大の弱点です。国語改革を契機に「正鵠を得る」から「的を得る」が生じたなら、1946年から、あまり時をおかずに使用例があるはずです。)

 「的を射る」に1946年以前の用例が見つかると大きく説が揺らぐ。

 (「的を得る」とは逆に、1946年より以前に「的を射る」の用例が見つかると、国語改革を契機に「的を射る」が発生したという説の妥当性が大きく揺らぎます)

 「的を射る」が1946年以前に辞書に載っていると説が崩れる。

 (同じ理由で、1946年以前に「的を射る」が辞書に採録されていると説が崩壊します)

私は「的を得る」という表現が誤用だという説に予てから違和感があり、今回自分の疑問を解決するために色々と調べてみました。その結果、「的を得る」が誤用だとする説に妥当性が無いことに確信が得られました。また正しいとされる「的を射る」が意外に新しい表現であることがわかり、更にその誕生の経緯が「的を得る」と全く同じではないかと思われる「証拠」にも行き当たりました。

概要はつかめたと思うもののまだまだ証拠は不十分なので、今後も「的を得る」については成り行きを見守りたいと思いますが、このまとめを以って、「的を得る」に関する調査をいったん終了したいと思います。もし私の説を補強する、または崩す証拠をお持ちでしたらコメントにお知らせくださると幸甚です。

 

(2011.7.23修正) 

その後の調査で「的を射る」が1954年の「辞海」初版に採録されていることを確認しました。(本文に追記) 

また、「的を得る誤用説」は「三省堂国語辞典」第3版(1982年)が初出と思われます。 

それ以外にも多くの知見が得られているので、いずれこの記事の誤りを修正したまとめを書くつもりですが、「的を得る誤用説」が誤りであるという点と、全体の流れについては大きな変更の必要は感じていません。 

 

(2011.1.23修正)

※「日本語 誤用・慣用小辞典」(国広哲弥著 講談社現代新書1991年)に、「三省堂国語辞典」の「的を射る」の項に「{あやまって}的を得る」と記載されている、とあるのを見つけました。

またネット上の情報で1972年「新明解国語辞典」に「的を射る」が採録されているという情報に接しました。これは後日確認します。

いずれにしても辞書への初出が「広辞苑 第4版」ではない可能性が高いため、暫定的に(「的を射る」が辞書に採録される)の1991年を消し、それぞれの段落の最初にあった、以下の二文を削除しました。

「「的を射る」の登場から40年以上が経過した1991年、「広辞苑 第4版」に「的を射る」が採録されます。」 (「的を射る」が辞書に採録される)

「「的を射る」に遅れること10年。」 (「的を得る」が辞書に採録される)

| | コメント (8) | トラックバック (0)

«【調査】「的を射る」は、何時から「広辞苑」に載ったか?