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「大学」再読 2

「大学・中庸」 金谷 治(訳注) 岩波文庫

 実は「大学」の教えを読んでいて、昔から違和感というか、どうしても少し気になるところがありました。今日はその点にふれてみます。

 「大学」では、物事の善悪を見極め、知識を押し広めて判断力を養い、良心に素直で誠実な状態になって、怒り・憎しみ・享楽・恐れなどの感情から離れて心を落ち着かせ、そして身を修めるという順番で「修己」を進め、「修己」によって得た「徳」の影響力で自分の家を和合させ、国を治め、天下を太平にする、と説いています。(・・・超訳;)

 違和感を一言でいうと「なんか都合がよすぎないかな」という感じでしょうか。要するに「修身によって徳が高まれば天下が治まる」という「風が吹けば桶屋が儲かる」式の展開に無理を感じるのです。そこで、物の善悪を見極めるところから順番にたどってみると、私が引っかかるのは「(徳の力で)家を和合させ、国を治める」という部分だと気づきました。

 自己研鑽によって優れた徳を積んだ人物が、その影響力で自分の「家」を和合させ一族を治めることができる、これは納得がいきます。もちろん「家」といっても、今の日本の核家族ではなく、一族を含む大家族で、国の重臣の家ともなれば使用人まで含めて数十人。場合によっては百人以上の規模かもしれません。中堅クラスの同族会社のようなものでしょうか。それでもこの規模の共同体に優れた人物がいれば、その徳の力によって統治することができるだろうと思います。でも、そこから「国を治める」となるとどうでしょうか?

 ここで「国」といっても現代の日本でいえば「道・府・県」という規模だと思いますが、その規模でも、徳のみによって統治できるとは思えません。仮に国の重臣という立場でも、いえたとえ君主であったとしても、自身の「徳」の力のみで「国」を治めるのは不可能でしょう。実際に人が自身の徳のみによって統治できるのは、徳の持ち主が直接全員に接することのできる規模の集団までではないでしょうか。

 それよりも大きな集団になると、統治者に徳があるに越したことはありませんが、それ以上に組織の仕組みやルール、その適切な運営という技術的要素が重要になります。「大学」の説く人徳による統治は、国を治めるという規模では限界を超えてしまいます。

 「大学」の第6章に、私が注目する一節があります。曰く

 「ただ仁人だけが、こうした(他人の善を受け入れることのできない)人物をきっぱりと追放して流罪にし、四方の未開の土地に退けて、善良な人々とは一緒に中国に住めないようにする。〈中略〉善くない人物を認めながらそれを(官位から)退けることができず、退けたとしても遠ざけて関係を断ち切ることができないというのは(君主としての)過失である。」

 ここでは明らかに「徳」による感化ではなく、好ましくない人物を実力で排除すること、つまり「(強権としての)力」を行使することを支持しています。「大学」が「力」の行使に触れているのはこの部分だけですが、徳だけでは国の統治や天下太平を実現できるわけはないので「力」を適切に行使する必要があると認めているのだと、私は勝手に解釈しています。

 「大学」の説く修己の考え方は、人のありようとして美しくかつ合理的なものです。しかし国を治める以上のスケールになると、徳だけでは限界を超えてしまいます。国を治め太平の世を築くには、恐らく「韓非子」のような法家の力も借りる必要があるのではないでしょうか。

 儒家の徳を備え、法家の術を身につけた人物。私にとって理想の人物像の一つです。

 現代の日本にそんな政治家が登場してくれないものでしょうか。

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コメント

『大学』について分かりやすくまとめてあるので、楽しく読めました。ありがとうございます。

徳の力で、国から天下までをまとめあげるって、僕も違和感を持っていました。庶民なのに、韓非子やマキアヴェルリを読んだりして……。

ただ最近、思うのです。法や力は技術(末)で、『大学』は、その先の理想(本)を語っているのかなと。思いやりの輪が家族だけでなく、社会や天下に広がることを想像すると、それはすばらしいものだなぁと。そして君子たるもの、その思いやり(本)を天下に広げる志を持つべきだなぁと。

投稿: おさむ | 2005年9月17日 (土) 03時16分

おさむさん、素敵なコメントをありがとうございました。

私も徳と力の関係というのは、ご指摘の通りだと思います。

マキアベリや韓非子は、すでに君主である主人に(即効力のある)技術を指南するスタンスで著述しています。そのため人徳のない君主でも効果的に統治を行える内容になっています。
しかし彼らにしても、既に君主が徳を備えていた場合、技術の有効性が高まるということに異論はないと思います。

当要塞は与太話が多いと思いますが、お時間があれば、是非またお寄りください。

投稿: BIFF | 2005年9月17日 (土) 05時50分

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