田山花袋先生、参りました
今日は、「的を得る」を巡る本筋とは離れた投稿です。
私は「「的を得る」は、市民権を得るか?2」で、青空文庫に「正鵠を得る」の用例が21ありましたと書きましたが、よく見たら20でした、という訂正です。
21個の中に、田山花袋の以下の用例が含まれていたのです。
「その喞筒(ポンプ)の水の方向は或は右に、或は左に、多くは正鵠を得なかつたにも拘(かゝは)らず、兎に角、多量の水がその方面に向つて灑(そゝ)がれたのと、幸ひ風があまり無かつたのとで、下なる低い家屋にも、前なる高い土蔵にもその火を移す事なしに、首尾よく鎮火したのである。」(田山花袋「重右衛門の最後」1902年)
田山先生、参りました。この「正鵠を得る」はどう見ても「物事の核心をつく」という意味ではありませんね。この用例は謹んで「別格」とさせていただき、私の先の記事は訂正しました。ということで「青空文庫」で確認できた「正鵠を得る」の用例は20個でした。
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