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「的を得る」は、市民権を得るか? 2

「的を得る」が誤用であるという主張は、2013年12月発売の『三省堂国語辞典』が、これまで同辞典が掲載してきた「的を得る」誤用説を撤回したことで、ほぼ俗説と確定しています。

それについてはこちら
【逆転】「的を得る」:「誤用説は俗説」と事実上決着へをご参照ください。(2014.5.28)


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「青空文庫」は、著作者の没後50年を経て著作権が消滅した約9000の作品を公開しているため、明治から昭和初期の日本語の用例を調べるのに便利です。

試しに「青空文庫」内を検索すると「“的を射”」は坂口安吾、横光利一などの4例を確認できましたが、「“的を得”」は一例もみられません。

一方「正鵠を得る」は、森鴎外、芥川龍之介、北村透谷、寺田寅彦、など名だたる作家によって20の使用例がありました。他に「正鵠を失う」「正鵠を外す」などの用例も数例ずつ見つかり、現在では使用されることがあまりなくなった「正鵠」の眷族が広く使用されていたことが分かります。

このように明治から昭和初期にかけて、「正鵠を得る」が重用され、「的を得る」登場以前から「的を射る」が使用されていたわけですが、その後は「正鵠を得る」は使用されなくなり、「的を得る」という表現が台頭します。

この間、最も大きな影響があったと思われるのは、1946年の「国語改革」です。戦後、読売新聞の社説に「漢字を廃止せよ」と載り、志賀直哉が「日本語をやめてフランス語を国語に」と言い出すような時代の雰囲気の中で、アメリカの占領政策のもと「当用漢字(後に常用漢字)」「現代仮名遣い」が制定されます。

この「改革」を経て、日本語の表現も大きく変わり、「正鵠を得る」のように格調は高いものの大仰な表現は出番を失っていくわけですが、時期的には、ほぼそれに代わるように「的を得る」が台頭してくるわけです。

さて、私が今更「的を得る」について記事を書こうと考えたのは、今回検索した中で見つけた「平成15年度「国語に関する世論調査」の結果について」という文化庁の報告に愕然としたからでした。

この報告の中で「物事の肝心な点を確実にとらえることを」表現した慣用句として「的を得る」「的を射る」が問われています。全体としては、「的を射る」38.8%、「的を得る」54.3%となっており、「的を得る」が優勢です。しかし、年齢別の調査結果のグラフはそれとはまったく違う現実を示していました。

60歳以上では、双方45%前後で拮抗していますが、50代から30代にかけては「的を得る」が概ね60%をキープして大きくリード、「的を射る」は30%台と低迷します。ところが20代になると「的を得る」が急落し「的を射る」が上がる傾向が顕著になり、10代では完全に逆転して「的を得る」35.8%「的を射る」45.3%となります。Yoron15_83

グラフを見ると「青空文庫」の検索結果を元に推測した「的を得る」の登場と台頭は、60代から30代までの「的を得る」支持率とよく合致しています。しかし、その後の世代では「的を得る」の支持率は急落しているのです。「的を得る」が「的を射る」の誤用だとされ、それが広く世間に喧伝されたのはこの10年くらいの出来事ですが、このグラフの急落はその影響だとしか思えません。

「的を得る」は「正鵠を得る」に代わり使用されるようになり、その語感の良さから急速に流布した表現です。特に話し言葉としての筋の良さは、即物的で生硬な印象のある「的を射る」と比較になりません。もともと「的を得る」を使用していた人が、それを間違いだと指摘された後で、代わりに「的を射る」を使用するのには単なる慣れ以上の抵抗があるはずです。

意味が同じで、形もよく似ているものの「的を射る」は「的を得る」の代わりを果たすことはできません。これは「的を得る」の起源など全く関心がない人でも、かなりの割合で感じていることだと思います。

戦後の「国語改革」によって日本語の表現は一つの断絶を経験し、私たちは「正鵠を得る」という先達が作った表現を共有することが難しくなりました。日本語の柔軟性はその不幸の過程で「的を得る」という新しい表現を産み、表現の自由度を確保したわけですが、「的を得る」は、先行して使用されていた全く別の起源をもつ「的を射る」と形が似ていたばかりに、「間違い」「誤用」などという濡れ衣を着せられ葬り去られようとしているのです。

かつて日本語は「正鵠を得る」「的を射る」の2つの慣用表現を持っていました。「的を射る」は生き残りますが、より広い範囲をカバーしていた「正鵠を得る」はこのままではその後裔共ども失われるかもしれません。

2000―2002年に刊行された「日本国語大辞典」には「的を得る」が採録されました。しかし「的を得る」を取り巻く状況は予断を許しません。果たしていつか「的を得る」が、その身にふさわしい評価と日本語としての市民権を得る日はくるのでしょうか。

 

 

(2010.4.19訂正)当初「青空文庫」内の「正鵠を得る」の用例は21としていましたが、適切でないものが含まれていたのに気づき20に訂正しました。

(2010.4.21訂正)当初「正鵠を得る」の使用者に夏目漱石を挙げましたが、漱石の用例は「正鵠にあたる」でした。使用者から夏目漱石を削除しました。

(2010.4.27追記)文中「かつて日本語は「正鵠を得る」「的を射る」の2つの慣用表現を持っていました」としましたが、後の調査でもともとは「正鵠を得る」一つであったと考えを改めました。(参照:「【まとめ】「的を得る」と「的を射る」の誕生と成長の歴史」)

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