坂口安吾に見られる「的を」と「正鵠を」の互換性
「的を得る」が誤用であるという主張は、2013年12月発売の『三省堂国語辞典』が、これまで同辞典が掲載してきた「的を得る」誤用説を撤回したことで、ほぼ俗説と確定しています。
それについてはこちら「【逆転】「的を得る」:「誤用説は俗説」と事実上決着へ」をご参照ください。(2014.5.28)
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昨日アップした記事「「的を得る」は、市民権を得るか?2」の中で、私は「正鵠を得る」に代わって「的を得る」が台頭した契機は、1946年の「国語改革」だったのではないかと推論しました。残念ながら直接証拠になるものはないのですが、青空文庫を調べていた時に興味深い例を見つけました。
今回、私が青空文庫で見つけた「“的を射”」の用例4つの内2つは、坂口安吾のものでした。いずれも戦後、現代仮名遣いで書かれた作品です。
「こういう策のある言葉が実は的を射ていることがあるもので、」(「ジロリの女」1948年)
「その疑惑が的を射たものであった場合、」(「桂馬の幻想」1954年)
「ジロリの女」には上記引用したのとは別の箇所にも「的を射る」が登場しており、坂口安吾が「的を射る」という表現を好んで使用していたことが分かります。
しかし安吾が、戦前、歴史的仮名遣いで書いた作品には「正鵠を射る」が用いられているのです。
「即ち彼等の認識は必ずしも根柢的に愚劣ではなく、時に正鵠を射てゐるものがあるのである。」(「総理大臣が貰つた手紙の話」1939年)
同一の作家に、「国語改革」を挟んで「正鵠を射る」と「的を射る」の変遷を示す用例があることは、「正鵠を」と「的を」の互換性を証拠立てると同時に、その表現の変化が起きた時期や原因を推定する重要な材料になると思います。
また、これは「正鵠を得る」から「的を得る」への変化が起こりえることの傍証でもあります。
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