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「的を得る」は、市民権を得るか? 1

「的を得る」が誤用であるという主張は、2013年12月発売の『三省堂国語辞典』が、これまで同辞典が掲載してきた「的を得る」誤用説を撤回したことで、ほぼ俗説と確定しています。

それについてはこちら
【逆転】「的を得る」:「誤用説は俗説」と事実上決着へをご参照ください。(2014.5.28)


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先日「日経パソコン」を読んでいて思わずニヤリとしました。それは最近の日本語入力システムの比較記事で、そこには「Google日本語入力」のサジェスト機能が「まとを」の変換候補として誤った用法である「的を得る」を挙げてくるとありました。原因は「Google日本語入力」の辞書がWebデータに基づいた「統計的言語モデル」をベースにしているためだそうで、試しにグーグルで「的を射る」を検索すると該当は9万件であるのに対し、誤用である「的を得る」の方はなんと890万件ヒットしたというのです。

 

私も確認のため、幾通りかのキーワードでGoogle検索してみました。試した中で「”的を得た”」15万件「”的を射た”」11万件という結果の方が、「日経パソコン」の記事にあった890万対9万よりも実態に近いだろうと感じましたが、とまれ検索方法によって結果が大きく変わるもののWeb上の存在数についていえば「的を射」に対して「的を得」が優勢なのは事実のようです。

 

私はもともと「的を得る」が「的を射る」の誤用だというのには根拠が無いと考えています。そしてこの問題に議論があるのは知っていましたが、やがて時間が解決するだろうと考えてきました。実際に上記の通り数的には「的を得る」は優勢のようです。しかし今回検索を掛けてみて感じるところがあり、このブログを数年ぶりに更新してみることにしました。

 

「的を得る」の起源が「正鵠を得る」だという指摘がされて久しい今でも、「的を得る」は「的を射る」の誤用だと考える人の根拠は、枝葉を取り払って内容を整理してしまうと以下2点に尽きるようです。

 

. 「的を得る」が「正鵠を得る」から来ている説は推論に過ぎない。

. 「的を得る」は辞書に載っていない。

 

結論からいえば「的を得る」という表現が、「正鵠を得る」から来ているのはまず間違いありません。ネット上では「正鵠」の意味は「まとの中心」という前提で煩瑣な議論がされてきたようですが、実際には「正鵠」は「まとの中心」である以前に、単に「まと」という意味だからです。

 

「荀子」勤学第一の「質的張而弓矢至焉」の注には「的、正鵠也」(的とは、正鵠のことである)とあります。「正鵠」のこの語義は「新字源」のように漢語の意味を調べるのに適した辞書を引けば確認できます。その「新字源」には「正鵠」は「ゆみの的。また、的の中心。」とあります。実際に「礼記 射義」にある「正鵠を失わず」の「正鵠」は「的の中心」の意味で使用されていますが、「正鵠を得る」の出典とされている「中庸」の「正鵠を失う」の箇所では「正鵠」は単に「まと」の意味で使用されています。

 

つまり「正鵠を得る」と「的を得る」はもともと意味が同じ表現なのです。従って漢籍の素養がある人が「正鵠を得る」という大仰な表現を、より日本語としてこなれた「的を得る」という形で使用するのに何の障害もありません。

 

「日本国語大辞典」の「的を得る」に高橋和巳の小説が用例として引かれていますが、中国文学者である高橋が「的を射る」を誤用したり「当を得る」と混用したと考えるよりも、「正鵠を得る」と同じ意味で「的をえる」と表現したと考えるのが自然で、これを推論に過ぎないと退けるのには無理があるのです。

 

また「的を得る」が誤用だという情報に接して、これまで「的を得る」を使用してきた人が辞書を調べてみると、「的を射る」が載っていて「的を得る」は載っていません。これで、なるほど誤用なのかと納得してしまう人も多いようです。しかし少し考えればわかることですが、ある言葉が辞書に載っている事を以て、その言葉がお墨付きを得た正しい日本語だということは可能でも、逆に辞書に載っていない言葉だから間違った日本語だとはいえないのです。なぜなら辞書の収録語数は大変限られているからです。

 

日常使用される国語辞典の収録語数はせいぜい数万語程度、「広辞苑」でも24万語に過ぎません。「日本国語大辞典」は流石に50万語を数えますが、これですら日本語の語彙を網羅していません。「広辞苑」に載っていないものが間違いなら、「日本国語大辞典」に収録されている内の26万語は間違いということになってしまいます。因みに既出の情報にあるように「日本国語大辞典」には「的を得る」が採られています。24万語では選にもれても、50万語には入選しているのです。

 

さて一方の「的を射る」ですが、見てすぐにわかるようにこれは至極普通の日本語表現です。形の上で「鞠を蹴る」「字を習う」と何ら変わりません。当然「的を射る」の用例は古くからあり、文字通り「弓矢で的を射る」という意味で使用されています。これがいつ頃から「物事の核心をつく」という意味で使用されるようになったのかは分かりませんが、古くからある「的を射る」という言い回しが、意味を転じて慣用句として定着したものと考えて間違いはないと思います。

 

この「的を射る」から「的を得る」という形が生じるはずはなく、「的を射る」しか知らない人が「的を得る」を「的を射る」と「当を得る」の混用だと推測したくなる気持ちはわかります。しかし「的を得る」は「的を射る」とは起源が違うのですから、この推論自体が無意味かつ見当違いなのです。

 

漢籍を起源とする「的を得る」と、もともと日本語の表現から生じた「的を射る」。姿かたちがそっくりで、意味まで一緒。これが「的を得る」と「的を射る」を巡る混乱の原因だと私は思います。

 

以上みて「的を得る」という表現が、精選された24万語に選ばれるほど認知されていないものの、「的を射る」の誤用や「当を得る」との混用などではあり得ないのは明らかだと思われます。現状、公式な文書などで「的を得る」を使うべきでないのは論を待ちませんが、「的を得る」を「的を射る」の誤用だというのは誤りです。

 

(2010.4.24追記)本文中「古くからある「的を射る」という言い回しが、意味を転じて慣用句として定着したものと考えて間違いはないと思います。」とありますが、後日の調査で「的を射る」の登場時期は戦後の「国語改革」以降のようだと考えを改めました。(参照)「【調査】「的を射る」は、何時から「広辞苑」に載ったか?

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コメント

はじめまして、
なるほどと思いました。
ところで用例としては的を得るの方が多いのに辞書に載らないのはなぜでしようか?本来ならば言葉の変遷に合わせて辞書も変わるはずだと思うのですが。

投稿: 初心者 | 2011年11月23日 (水) 00時58分

初心者さん

コメントをありあがとうございます。

「的を得る」が辞書に載らない(「日本国語大辞典」には載っていますが)理由は二つあるのではないかと思っています。

一つは、もともとは「的を得る」の用例が話し言葉に偏っていて文書ではさして多くなかったこと。「的を射る」についても用例が多くないのは同じですが、「的を得る」と違い、こちらは「的は射るもの」というコロケーションが古くから成立していたので、採集された僅かな用例が、「的を射る」の新しい意味として辞書に取られ易かったという事情の違いがあったこと。

もう一つは、近代的国語辞典の魁である「三省堂国語辞典」の第三版で、辞書界の大御所である見坊豪紀さんによって「「的を得る」は誤り」という記載がされたために、文書上の用例が確認されるようになって以降も、他の辞書に採録されにくい事情があったのではないかということ。(実際に大規模な編纂が徹底して行われた「日本国語大辞典」には採録されました)

忙しさにかまけて、続きの記事を書けずにいますが、その後も調べを進めた結果「「的を得る」誤用説」には根拠が無いことは明らかだと考えています。

投稿: BIFF | 2011年11月24日 (木) 07時00分

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