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【資料】「正鵠を得る」「正鵠を射る」「的を射る」の年代順用例一覧

「的を得る」が誤用であるという主張は、2013年12月発売の『三省堂国語辞典』が、これまで同辞典が掲載してきた「的を得る」誤用説を撤回したことで、ほぼ俗説と確定しています。

それについてはこちら
【逆転】「的を得る」:「誤用説は俗説」と事実上決着へをご参照ください。(2014.5.28)


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資料として「青空文庫」で見つかった「正鵠を得る」「正鵠を射る」「的を射る」などの用例を年代順に並べた一覧を上げておきます。「青空文庫」は著作権者の没後50年を経て著作権が消滅した作品が集められているため、年代の古いものについてはある程度網羅性が高く、年代が近くなるほど抜けが多くなります。

たとえば1946年の国語改革時に40歳だった作家が70歳で没したとすると、その著作権が切れるのは2016年ということになります。私は「的を得る」の用例が見つからないのはその所為ではないかと思っていますが、単なる思い込みの可能性もあります。

ただこの一覧を見ていただくと「「正鵠を得る」→「正鵠を射る」→「的を射る」という順で変化が起きた」という説の信憑性は高いと感じられることと思います。(参照:「【まとめ】「的を得る」と「的を射る」の誕生と成長の歴史」)

正鵠を得る(1893年~1948年 用例20)

「未だ根本の生命を知らずして、世道人心を益するの正鵠を得るものあらず。」(北村透谷「内部生命論」1893年)

「且此種の批評充分にして鑑定正鵠を得、其史料にして僞造の者ならずと斷定せられたりとするも、」(原勝郎「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」1898年「史学雑誌」)

「その人の仕事や学説が九十九まで正鵠を得ていて残る一つが誤っているような場合に、その一つの誤りを自認する事は案外速やかでないものである」(寺田寅彦「科学上における権威の価値と弊害」1915年頃)

「俵の字を解かんとて竜宮入りの譚を誰かが作り出したであろうと、馬琴が説いたは、まずは正鵠を得たものだろう。」(南方熊楠「十二支考」1916年)

「たまたまそれをさし向ける対象が正鵠を得ていても、なんにもならぬのである。」(森鴎外「寒山拾得」1916年)

「もしこの想像が正鵠を得るものとすれば、ローマ帝国時代よりも、近世国家の樹立以後における欧洲の秩序が、一層紊乱しておらなければならぬ。」(原勝郎「東山時代における一縉紳の生活」1917年)

「個人意識の勃興がおのずからその跳梁に堪えられなくなったのだと批評された。しかしそれは正鵠を得ていない。」(石川啄木「時代閉塞の現状」不詳「東京朝日新聞の文芸欄」)

「兩面から論じなくちやあ議論の正鵠は得られない。」(石川啄木「我等の一團と彼」)

「サア・オルコツクの日本婦人は、とにかく、マツクフアレエンのそれよりも、正鵠を得てゐる。」(芥川龍之介「日本の女」1925年)

「雷電の火の種子が一部は太陽から借りられたものであるとの考えも正鵠を得ていると言われうる。」(寺田寅彦「ルクレチウスと科学」1929年)

「いつもその時応募した数百のものの中で一番正鵠を得て書かれているとか、科学的に正しい社会的認識をもって書かれているとかと云うことは保証の限りでない。」(宮本百合子「反動ジャーナリズムのチェーン・ストア」1931年10月「時事新報」)

「その作品がプロレタリア的観点からの著しい背離の傾向を以て書かれていることを指摘した点は、正鵠を得ている。」(宮本百合子「前進のために」1933年「プロレタリア文学」)

「伊藤俊輔と志道聞多との会話、焼弾陰謀の相談等、実際にあり得べきことである。殊に風俗の点に関しては正鵠を得ている。」(直木三十五「大衆文芸作法」不詳)

「時事問題に対する先生の観察と批評は鋭くて、正鵠を得ているものが多いと思う。」(三木清「西田先生のことども」1941年)

「最終戦争と言えば、いかにも突飛な荒唐無稽の放談のように考え、また最終戦争論に賛意を表するものには、ややもすればこの戦争によって人類は直ちに黄金世界を造るように考える人々が多いらしい。共に正鵠を得ていない。」(石原莞爾「最終戦争論・戦争史大観」1941年)

「支那事変に先立つこと二十一年、我が国の人口五千万、歳費七億の時代の著作であることを思い、その論旨の概ね正鵠を得ていることに三造は驚いた。」(中島敦「斗南先生」1942年)

「「日本交通貿易史」のなかで述べてゐるシーボルトの次のやうな通詞に對する觀察が、もつとも正鵠を得たものではないだらうか。」(徳永直「光をかかぐる人々」1943年)

「マラーの、その見とおしは、今日から見て正鵠を得ていました。」(宮本百合子「獄中への手紙」1944年)

「『大言海』のグミの語原は不徹底至極なもので、けっしてその本義が捕捉せられていない。すなわち正鵠を得ていないのだ。」(牧野富太郎「植物一日一題」1946年)

「マルサス氏は次の推論においても正鵠を得ているであろうか? 」(David Ricardo 吉田秀夫訳「経済学及び課税の諸原理」1948年)

正鵠を射る(1933年~1939年 用例2)

「そして遂に私の仮定が、或る程度まで正鵠を射ていることを確めた。」(海野十三「ゴールデン・バット事件」1933年)

「即ち彼等の認識は必ずしも根柢的に愚劣ではなく、時に正鵠を射てゐるものがあるのである。」(坂口安吾「総理大臣が貰つた手紙の話」1939年11月)

的を射る(1947年~1954年 用例4)

「こういう策のある言葉が実は的を射ていることがあるもので、」(坂口安吾「ジロリの女」1948年)

「悪意の批評ではないまでも、少しばかり的を射すぎてゐると思つたのだらう。」(神西清「夜の鳥」1949年)

「その疑惑が的を射たものであった場合、」(坂口安吾「桂馬の幻想」1954年)

「兵士の方も的を射すぎた不手際な苦しさで、眼をぱちぱちさせて外っぽを向いたまま、これも何も云わなかった。」(横光利一「夜の靴」1947年)

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