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「暴力装置」失言問題について

この二日程、時の官房長官の発言に端を発する「暴力装置失言問題」が気になったので、記事を書いてみます。

私自身は、自衛隊が「暴力装置」であるのは自明なことだと思うので、発言自体には何の違和感もありません。

しかし「暴力装置」という言葉が、多くの人から感情的な反発を受けたり、あるいは「左翼用語」であると認定されたり、後から調べて政治学では基本的な用語だと理解した人でさえ「場所をわきまえない不適切な発言であることに違いない」などと批判を続けるのをみて、この問題の根本は「暴力」という言葉への理解不足だと感じています。

広辞苑では「暴力」は「・・、相手の身体に害を及ぼすような不当な力や行為」と説明されています。広辞苑に限らず国語辞典で「暴力」を引けば、その意味に「不当・不法」というニュアンスが含まれているはずです。一般に日本語で「暴力」と言えば、不当なものだと認識されているわけです。勿論これはこれで正しいのですが、日本語には、国語辞典に載っているような一般に使用される単語だけでなく、専門用語や術語というものもあるのです。

法学の世界でも「暴力」は「不当ないし不法な方法による物理的強制力の使用」(ブリタニカ国際大百科事典)と定義され、「不当・不法」という意味を内包します。凶悪犯が人を傷つけたり、監禁したりすれば、それはすなわち「暴力」ですが、警察が法の手続きに従って凶悪犯を制圧・逮捕する行為を、「暴力」とは呼びません。法学では法に則った正当な力の行使を「暴力」と呼ばないのです。

ところが政治学・社会学の世界では、「暴力」は「物理的強制力の行使一般」(同上)と定義され「不法・不当」というニュアンスを含みません。政治学・社会学では、凶悪犯が不法に振るう「力」も、それを警察が法の定める手続きに従って正当に制圧する「力」も、等しく「暴力」と呼ぶのです。これは政治学・社会学が、警察が凶悪犯を正当に逮捕する「力」は、無実の人を不当に逮捕する「力」でもあり得ること、どちらも本質的には同じ「力」であること、に着目するためです。

主権国家は、内外の不当な「暴力」から国民を守るために、国家によって独占的に制御された「暴力」を持つ必要があります。外国の侵略という暴力を退けるための軍隊、国内の不当な暴力を制圧し治安を維持するための警察が、その代表になります。物理的強制力を行使する組織である軍隊・警察は、そうした意味で「暴力装置」と呼ばれるのです。つまり「暴力装置」とは「物理的強制力を持った組織」に過ぎず、なんら悪い意味を持っていません。

ただこうした治安や国防に使える「力」は大変強力なもので、他国への「侵略」や国民の「弾圧」に使用されないよう、正しく制御されなければなりません。このような問題を考え議論する上で、「暴力装置」という概念は大変重要なのです。「暴力装置」は、政治学・社会学上の文脈によってのみ解釈されるべき術語で、「暴力」という一般的な日本語のイメージに由来する誤った批判によって、議論での使用が出来なくなっては損失が大きすぎます。

因みに70年代に日本で流行った左翼用語としての「暴力装置」は、一般人の「暴力」という言葉へのマイナスイメージを利用(誤用)したものに過ぎず、「暴力装置」の定義とはいえません。

また件の官房長官が国会で「実力組織」と訂正するときに「法律用語として適切でなかったので」と前置きをしていました。法学的な「暴力」は「不法」を含意することは上記指摘したとおりで、言う事すべてが不誠実で間違っている印象がある官房長官ですが、この台詞から、この件に限っては正しく用語を理解していたように思えます。

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