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「社会学小辞典」でも「軍隊は暴力装置」

先日の投稿の補足です。

今日「暴力装置」について、その後どうなったか見ていたところ、

「社会学小辞典」を調べて「暴力装置 暴力を発動するため、諸機関が配置されていること。最高に組織化された政治権力である国家権力が、軍隊・警察・刑務所などを配置している状態などに用いる。・・・」と報告されているサイト (※)(「社会学小辞典で「暴力装置」を調べてみた」:くじらのねむる場所@はてな )があり、

その説明を引用した上で、「軍隊自体が暴力装置なのではなく、「国家権力が、軍隊・警察・刑務所などを配置している状態」を「暴力装置」というのだ」と解説されているサイト (「自衛隊ではなく国家が暴力装置だから国民は安心して暮らせる」:極東ブログ)がありました。

これらの記事を見て、社会学に於ける「暴力装置」の解釈が気になってきたので、有斐閣の「社会学小辞典【新版増補版】(2009年8月5日新版増補版第3刷)」にあたってみました。

それによると「暴力装置(violent apparatuses)」は「組織化され、制度化された暴力の様態。通常軍隊・警察をさす。」と説明されていました。(P.976 2005年増補の独立項目)

これを見る限り社会学に於いても、通常は「軍隊は暴力装置」という解釈で良いようです

※ こちらのサイトでは、古本屋で購入した1991年版の旧い版によると、と断りを入れて紹介されています。「社会学小辞典」は1997年新版になっています。

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コメント

わたしにはできなかった反駁をしてきただき、また知見を広める助けにもなり、非常にうれしいコラムをたくさんありがとうございます(*^_^*)


「暴力装置」という表現についてですが、わたしの私見としては「実力行使」が不当であるか否かを一概に押し付けるような態度は、国際的な分野では妥当ではないですよねそういう意味では非常によい表現だと思っています

それが我が国の「暴力装置」に携わる方々の誇りを傷つけるのかも知れませんが、平和憲法を掲げる我が国だからこそ「暴力装置」を自覚すべきですね(*^_^*)

投稿: 緋 | 2011年5月30日 (月) 00時42分

コメントをありがとうございます。

先の記事にも書きましたが、「「暴力装置」は、政治学・社会学上の文脈によってのみ解釈されるべき術語」です。正しく学術的な術語として使用される限り、軍や警察の関係者の誇りを傷つけることはないと思います。価値中立的な言葉だからです。しかし政治学社会学の文脈を離れて、軍(自衛隊)」や警察関係者に対し「暴力装置に携わる方々」という表現は成り立たないと思います。

「暴力装置」は「軍や警察」の「強力な物理的強制力を持っている」という一面を正しく表現していますが、そのすべてを把握し表現してはいません。例えば災害救出活動中の自衛隊を「暴力装置」で捉えることは出来ません。

ですから一般的な文脈の中では「軍や警察」を単純に「暴力装置」に置き換えることは不可だと思います。

投稿: BIFF | 2011年5月30日 (月) 07時20分

>例えば災害救出活動中の自衛隊を「暴力装置」で捉えることは出来ません。
>ですから一般的な文脈の中では「軍や警察」を単純に「暴力装置」に置き換えることは不可だと思います。

 人助けをするからといって、「暴力装置」たる国家権力の実行機関が、「暴力装置」呼ばわりされることは、残念ながら免れ得ないことですよ。
 「治安出動」は、自衛隊に課せられた主要な任務の一つですが、この矛先は、一体何処の何者を想定しているでしょうかね?

 プロの政治家やマスコミ関係者が、それを弁えていないかの様な態度を仕事中に取ってしまうのは、愚劣極まりないことですね。

投稿: ポポイ | 2011年10月29日 (土) 20時36分

ポポイさん
コメントをありがとうございます。

自衛隊の主任務である「国家防衛」「治安維持」は当然「暴力装置」としての機能ですが、「災害救出活動」はそうではありません。つまり自衛隊の本質は「暴力装置」であっても、それ以外の機能や側面を有しているということです。

記事にも書きましたが「暴力装置」は政治学や社会学の分野で、軍隊や警察が組織として物理的強制力を持つことに着目した術語です。一般的な文脈の中で、単純に「軍」や「警察」(あるいは「自衛隊」)という言葉と置換ができる言葉ではありません。

価値中立な言葉である「暴力装置」が、「呼ばわり」されるような使われ方をしたなら、それは本来「誤用」だと思います。

投稿: BIFF | 2011年10月30日 (日) 01時28分

仙谷氏は当時、「暴力装置でもある」て言い方をしてましてね。

「でもある」、です。

そして、「文民統制は大事ですよ」と言う文脈の中での使用です。
よって、「誤用」でもなんでもないですよ。


ちなみに、仙谷氏のウェブサイトで、過去の講演とかも読めますし、自衛隊についての彼の考え方とかも見て取れます。
ご一読を。

投稿: ポポイ | 2011年11月12日 (土) 19時39分

ポポイさん

私も国会での発言は見ました。私自身も自衛隊は「暴力装置」だというのは自明だと考えていますし、また自衛隊はそれ以外の側面も合わせ持つと考えているので、「暴力装置でもある」という発言に全く違和感はありません。「暴力装置」であるからこそ「文民統制」が大事だというのもまた当然の論理です。

当時の官房長官に関しては、思想も人物も実力も認めていないので擁護するつもりはありませんが、彼の思想がどうであれ、それを根拠に「暴力装置」の意味を曲解し、それが失言として揚げ足取りに利用されたことは、日本語を愛する者として甚だ遺憾です。

何度も指摘しているように「暴力装置」は価値中立な術語で、政治家や政治学・社会学の学者は当然知っていなければならない言葉です。素人が「暴力」という部分に反応し、意味を誤解して非難の声を上げたときに、政治家や専門家が、それを追い風に叩きに回るなどというのは言語道断の所業です。政治家でありながら「暴力装置」という言葉を知らずに叩いた者は無知を恥じるべきですし、知っていながら叩いた者は良心に照らして恥を知るべきだと思います。

言葉は生き物で、それを共有する文化を映す鏡です。一連の騒動は日本語の貴重な語彙の一つ、「暴力装置」という言葉に無視できない傷をつけ、その意味を歪めてしまったと思います。

投稿: BIFF | 2011年11月12日 (土) 23時19分

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