「正鵠」の意味は、単なる「的の中心」ではないという話
「的を得る」が誤用であるという主張は、2013年12月発売の『三省堂国語辞典』が、これまで同辞典が掲載してきた「的を得る」誤用説を撤回したことで、ほぼ俗説と確定しています。
それについてはこちら「【逆転】「的を得る」:「誤用説は俗説」と事実上決着へ」をご参照ください。(2014.5.28)
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昨年記事を書いた「的を得る」について、図書館に通いながら再考しています。結果はあとで数本のエントリーとして上げることになる思いますが、その前に「正鵠」について、記事にまとめておこうと考えました。
現在、普及タイプの辞書を引くと「正鵠」は「的の中心」の意味だ、と書いてあるので、大抵の人は「正鵠=的の中心」だと思っています。しかし以前のエントリーにも書いたとおり、『日本国語大辞典』『大漢和辞典』といった大型の辞書や、漢語に強い『新字源』などを引くと、「正鵠」には「ゆみの的、また的の中心」という語釈がついています。いうまでもなく本来正しいのはこれら後者で、「正鵠」という熟語の成り立ちをみればその理由がわかります。
今では「侯(こう)」という文字の意味が「まと」だといわれても、あまりピンとこないかも知れませんが、もともと「弓の的」という意味の成り立ちを持っているのは、この「侯」という文字です。一方で誰もがごく普通に「まと」だと思っている「的(てき)」という文字は、本来「あきらか」という意味で、それが転じて「弓のまと」の意味に使われるようになったものです。
また古代の中国では「射」は六芸の一つとされ、儀礼として「大射(たいしゃ)」「賓射(ひんしゃ)」「郷射(きょうしゃ)」など様々な射儀が行われていました。その中の「大射」は、諸侯が祭祀にあたり群臣と弓を射て、当たった者が祭りにあずかるという儀礼。「賓射」は、諸侯が隣国の君と共に宴をして、弓を射るという儀礼でした。実はこの「大射」に用いられた的が「鵠(こく)」で、「賓射」に用いられた的が「正(せい)」なのです。
かくのごとく古代の中国では、弓の的を「侯」「鵠」「正」など種類別の名で呼ぶことが多かったわけですが、これら「侯」「鵠」「正」を日本語に訳すと、どれも「まと」ということになります。
ところで「鵠」や「正」の大きさはどのくらいであったかというと、「周礼」の注釈に「十尺四方のものを「侯」といい、四尺四方のものを「鵠」といい、二尺四方のものを「正」という」とあります。周代の一尺は現在の22.5cmくらいですから、「鵠」は90cm四方、「正」でも45cm四方もあります。
現在の日本の弓道で、遠的競技(通常60mの距離から射る)に使われる的が直径1m、近的競技(28mの距離から射る)に使われる的が直径36cmですから、「鵠」や「正」はほぼそれらに匹敵する大きさです。どちらも「的の中心の黒星」などという代物ではありません、かなり立派な大きさの四角い「まと」であるとわかります。
ですから「河川」が、どちらも「かわ」という意味の「河」と「川」を並立した構成で「かわ」という意味を表しているのと同じで、「正鵠」は、どちらも「まと」という意味の「正」と「鵠」が並立した「まと」という意味の熟語ということになります。
話がこれで終われば「正鵠=まと」で簡単なのですが、事情はもう少し複雑です。「説文通訓定声」によれば、「大射の「侯」は虎熊豹等の皮を用い、その中に「鵠」を設ける」とあります。これは「侯鵠(こうこく)」と呼ばれる的ですが『大漢和辞典』(1巻763頁)の挿絵を拝借すると以下のような姿のものです。
ご覧の通りで、大射の的は「鵠」なのですが、「侯」全体を「的」と見れば「鵠」は「的の中心」ということになります。賓射の「正」の場合も同様に「侯」の中に「正」を設けたため「的の中心」といえるのです。
日本の弓道の場合、競技別の的を垜(あずち:土や川砂を盛り固めた土手)に立てますが、古代の中国の場合は、まず「侯」を立てて、大射の時には「鵠」をその中に掛け、賓射の時には「正」を掛けるといった感じでしょう。このようなわけで、中国語では「鵠」は「鵠」、「正」は「正」以外の何物でもないのですが、どちらも日本語に訳すと「的」または「的の中心」という二つの意味を持つことになってしまうのです。
この「正鵠」という熟語は、日本に渡ったのち、弓術の「的」の「中心の黒星」の名前として使われるようになったため、現在日本では「正鵠=的の中心」という理解が一般的になったわけですが、「正鵠を得る」の元になった「礼記」にある「不失正鵠」の「正鵠」を「的の中心の黒星」だと考えては大分イメージが違うということになります。また今後のエントリーで触れることになりますが、「正鵠を得る」という慣用表現が成立した明治期の日本でも、現在のように「正鵠=的の中心」という単純な理解ではなかったのです。
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