見落とされた事実 --- 「正鵠を得る」が「的を得る」に転じた証拠
「的を得る」が誤用であるという主張は、2013年12月発売の『三省堂国語辞典』が、これまで同辞典が掲載してきた「的を得る」誤用説を撤回したことで、ほぼ俗説と確定しています。
それについてはこちら「【逆転】「的を得る」:「誤用説は俗説」と事実上決着へ」をご参照ください。(2014.5.25)
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「的を得る」について自分なりに決着をつけたいと考えてきましたが、ゴールデンウィーク前後から仕事の忙しさが増し、休日、図書館に通うのもままならない状況が続いています。集めた資料の整理などまだ作業が沢山あるので、我ながら、いつになったら続きの記事が書けるのだろうと思っていたのですが、ネット上のやり取りから、ふと、既に手元にある確実な証拠だけでも有意な記事にはなりそうだと思い立ち、これを書いています。
さて、私が「的を得る」誤用説が間違いだと考える最大の理由は、誤用説に根拠がないことです。
誤用説の根拠として「的は射るものであって、得るものではない」というコロケーションが挙げられますが、これは一見根拠になりそうで実はなりません。「人を食った」という慣用表現に対して「人は食うものではないから誤用である」などといえないことは、誰でも直ぐ分かることです。「当を得る」との混用という説も「的を得る」が誤用であることを前提にした後付の理屈に過ぎず、混用されたという証拠などどこにもありません。
一方で「的を得る」が「正鵠を得る」から転じたという説について、誤用説を支持する方々は「正鵠」が「的」に転じたという根拠が無いと主張されています。私はこれまで複数の記事で「的」は「正鵠」と基本的に同義だと説明してきましたが、図書館通いの中で、それを裏付けてくれる追加の証拠が見つかっています。
周知のように「正鵠を得る」という慣用表現が成立したのは明治期のことですが、実は、当時の過半の辞書の語釈には「的」は「正鵠と同義である」と記されていたのです。
『日本大辞書』(日本大辞書発行所 1892年-1893年)山田美妙編
まと(的)目当の義。矢を射当てる目的。=正鵠
『帝国大辞典』(三省堂 1896年)藤井乙男・草野清民編
まと【的】 目当の義なり、矢を射当つる目的なり、正鵠に同じ。
『日本新辞林』(三省堂 1897年)林甕臣・棚橋一郎編
まと【的】 矢を射当つるめあてのもの、(正鵠)。
『ことばの泉』(大倉書店 1898年-1899年)落合直文編
まと【的】 ①矢を射、銃を放ちてあつる目的のもの。正皓。②のぞみ。めあて。もくてき。
『辞林』(三省堂 1907年)金沢庄三郎編版 (第1版 第2版以降は「広辞林」)
まと【的】(目処の義)①矢を射又は弾丸を発して当つるめあて。(鵠)。②のぞみ。めあて。
※『言葉の泉』の「正皓」は「正鵠」の誤植と思われます。
※『辞林』も「正鵠」の「鵠」が「的」の意味と理解されていたことを示しています。
ご覧の通りで、調べた明治期の辞書七つのうち『言海』『日本大辞林』を除く五つが、「的」の同義語として「正鵠」(ないし「鵠」)を取り上げています。これを見れば誰でも「正鵠」が「的」に転じ得るということに、納得がいくのではないでしょうか。
以下、もう一度、事実関係をまとめます。
「的を射る」という表現は、「的に向かって矢弾を発射する」という意味では古くから使用されていましたが、「物事の核心をつく」という慣用表現としての使用は1940年代になってからで、比較的最近のことです。
一方で、「正鵠を得る(=物事の核心をつく)」の成立時期は「的を射る(=物事の核心をつく)」より50年以上さかのぼった明治期で、当時の国語辞典には「的」は「正鵠と同義である」と載っていました。
こうした事実を比較すると、「的を得る」は、「的を射る」の誤用だと考えるよりも、「正鵠を得る」から転じたものだと考えた方がはるかに合理的だと思えないでしょうか。むしろ私には、これらの事実が見落とされたことこそが、根拠の曖昧な「的を得る」誤用説が登場した原因だと思えてなりません。
「的を得る」ついては、まだ複数の国語辞典が誤用説を記載しているという問題が残りますが、これについては、できれば今後、辞書の間違いの可能性を検証していきたいと考えています。ただ現在、仕事が少し大変なので、いつになるかわかりませんが・・・。(もし私の説の間違いが明らかになった場合は、早目に訂正記事を上げるつもりです)
追記:
この記事から約2年後の2013年12月15日『三省堂国語辞典 第七版』は、1982年以来30年以上主張していた「的を得るは誤用」という主張を撤回。独立項目として「的を得る」を立項しました。
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