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補足:「的を得る」誤用説 と「的を得る」の元は「正鵠を得る」説 の比較検討

当ブログには、この5月に、昨年末の『三省堂国語辞典』の「的を得る」誤用説の撤回は「誤用説が俗説であることをほぼ決定づけるできごと」だという解説記事を書きました。

※「俗説」というのは、「確かな根拠もなく、世間に広まっている説」という意味です。ですから必ずしも「俗説=完全に否定された説」というわけではありません。これまであたかも「定説」のように扱われてきた「的を得る」誤用説が、『三省堂国語辞典』の再検証・撤回で、実は根拠の曖昧な「俗説」であったとほぼ決まったということです。

しかし誤用説が大流行して「定説」のように扱われるようになってから、すでに15年ほどになり、とくに若い世代には学校で「的を得るは誤用である」という「教育」を受けた人も多いようです。twitterをみていると、当ブログの記事を読んでも誤用説が「俗説」であると信じられない、あるいは半信半疑という方もいらっしゃいます。

中には「的を得るという気持ち悪い表現」とおっしゃる方もいて、俗説の流行がここまで日本人の語感に影響を与えてしまったかと、少なからず驚きました。

そこで今回は、どうも「的を得る」という表現は受け入れられないという方にも、ご自身で「的を得る」誤用説がどのような説なのか再度考えていただけるように、私の手持ちの情報を整理してみました。

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確かに、これだけ見ると「的を得る」は、何かの間違いであるとしか思えません。


しかし「的を射る」以前に登場していた「物事の核心をとらえる」という同じ意味の慣用表現「正鵠を得る」まで視野を広げて、さらに用例や登場時期、意味の変遷をたどっていくと、すぐにそんなに単純な話ではないことがわかってきます。


以下、正鵠・的(+「当を得る」)の用例が登場した時期と、それらに付帯する事項をまとめました。


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ここから浮かび上がってくるのは、以下の5点になるでしょうか。

1.元来「正鵠」は「的」の意味であった。日本でも明治期の過半の国語辞典に「的=正鵠」と載っている。
2.「正鵠」は、日本に渡ってから「物事の核心」の意味で、さらにその後「的の中心」の意味で使われるようになった。
3.「的」には、もともと「物事の核心」という意味はなかった。
4.日本では古来「的は射るもの」である。
5,「正鵠を得る」は「物事の核心をとらえる」という意味の慣用表現としては、最も古く成立し、用例も圧倒的に多い。

これらをふまえて、一般的によく主張される「的を得る」誤用説である「「的を得る」は「的を射る」と「当を得る」を混同した誤用」という考え方を整理してみます。

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「「的を得る」は「的を射る」と「当を得る」を混同した誤用だ」という説には、次の前提があることがわかります。

・「的を射る」が「物事の核心をとらえる」という意味で使われるようになったことに、「正鵠を得る」「正鵠を射る」は影響していない。

しかし、形は似ているものの意味の異なる「当を得る」は「的を得る」に影響したとしながら、先に登場し、意味も内容も同じ「正鵠を射る」が「的を射る」に影響を与えなかったとする断定は、果たして妥当でしょうか。

もっとはっきり言えば、当初、この誤用説と唱えた人たちは「正鵠を得る」を無関係と判断したわけではなく、単にその存在を見落としていたのではないかと、私は疑っています。

もちろん、現実に「当を得る」を「当を射る」などと誤用した例が少数でもある以上、この誤用説を完全に否定することは出来ません。

しかし、私には

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「的を得る」は「当を得る」との混交によるものだ、とする説に対して、『言泉』編者の林大さんは、
「そう言われていますね。それでもいいんだろうけれど、ぼくは、どちらかと言えば、『正鵠を得る』
の方が影響が大きいと思うな」と言う。

                                        ( 『今様こくご辞書』 石山茂利夫 1998年 読売新聞社)

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こう語った、林大(はやし おおき)博士の誤用説に対する感想こそ、的を得ているように思えます。
※ 林大博士は、元国立国語研究所所長。『言泉』の監修者です。

一方、「「的を得る」の元は「正鵠を得る」であるとする考え方」をまとめてみると以下のようになります。

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「的を得る」は「正鵠を得る」からの派生だとする考え方は、明治期以降に登場した「物事の核心をとらえる」という同じ意味の4つの表現が、

①元来「正鵠」は「的」と同じ意味である
②日本では古来「的は射るもの」である

これらの影響で、すべて「正鵠を得る」から派生したと解釈していることになります。もちろん、この場合「当を得る」には出番はありません。私には誤用説よりは、こちらの方がより無理がなく、合理的な解釈だと思えます。

※もし派生の経路がこの通りでなかったとしても、例えば、万一将来「的を射る」が「正鵠を得る」より早い段階で「物事の核心をとらえる」の意味で使われていたことが判明したなどという場合でも、「的を得る」は、先に成立していた「正鵠を得る」「的を射る」の影響で派生したとみる方が、無関係な「当を得る」を持ち出すよりもずっと説得力がありそうです。

『三省堂国語辞典』は「的を得る」について、「得る」は「うまく捉える」意味だと判断して誤用という考えを改めたとしているので、必ずしも「正鵠を得る」からの派生と説明しているわけではありませんが、

『三省堂国語辞典』編集者の飯間浩明さんは著書の中で、小学館国語辞書編集部の神永暁氏の言葉を引きながらこう述べています。

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神永さんは「正鵠を得る」(「射る」とも言う)との関係から「的を得る」に肯定的な考えを示しています
傾聴すべき意見です。

                                       (『三省堂国語辞典のひみつ』飯間浩明 2014年 三省堂)

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このことからも、誤用説撤回の検討時に「正鵠を得る」との関係が視野に入っていたことは間違いないと思います。

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